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ブルース・リーの没後45周年 [シネマクラブ]

今年は永遠の香港の英雄、ブルース・リーの没後45周年ということから
命日の7月20日に向けて特別編集版のDVDとか期間限定のフィギュア
が発売されたりするのではないかと思います。

bruce_lee_2018-1.jpg

ブルース・リーという名前を聞いても、それは誰?と思う人の割合が多く
なってきていると思いますが、45年も経つわけですからね、逆に見れば
ジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーなどが、よく頑張っていると
見るべきかも知れませんね。


1973年7月20日、台風が近付く香港の病院に昏倒して意識がない男性患者
が搬送され、救命治療の甲斐もなく亡くなってしまったのが、香港の巨星
と言われていたブルース・リーでした。

それまで見たこともなかったヌンチャクを使った格闘シーンや、怪鳥音と
呼ばれたブルース・リー自身が発する声など、それまでのアクション映画
の枠を超えたカラテ映画、格闘映画という感覚の強い「燃えよドラゴン」
が日本で公開されて、大ヒットした時にはすでに主演のブルース・リーは
亡くなっていたという現実がありました。



最新作であり、遺作でもある「燃えよドラゴン」の後で、それ以前に香港
で公開されていた「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」さらには
ブルース・リー自身が監督を兼任しローマでロケ(予算の制約で撮影許可
を得ることなく隠れて撮影した市街地の映像や写真を引き伸ばし、香港の
スタジオの中で風景として利用するという低予算の中でありながら精一杯
の労力を使い、コロッセオの雰囲気を作り出していた「ドラゴンへの道」
が日本でも公開されました。

実際には「燃えよドラゴン」のオープニングシーンで、現在でも香港映画
のレジェンドであるサモ・ハン・キンポーと闘うシーンが撮影上では本当
の意味での最後だったわけですが、日本においては「燃えよドラゴン」の
前に公開された「ドラゴンへの道」が最後のブルース・リーの作品として
公開されたわけです。

ブルース・リーのことを書き始めたら何の資料も必要なくサラサラと話が
湧き出てきますが、亡くなってから45年も経った人のことを熱く語っても
生きて蘇るわけもなく寂しい話でございます。

まだ香港に行くなんて夢のまた夢の時代に映画で見て、何とか香港までは
行ってみたいと思っていましたが、実際に行ってみると飛行機で約四時間
の距離で、さらに想像していたような雑踏とかジャンクとかも跡形もなく
大都会へと変貌していてブルース・リーが建てた邸宅も没後には改装され
ラブホテルになったという話だけが伝わってきてブルース・リーの遺物を
見ることなんて全く出来ない状況でした。

bruce_lee_2018-2.jpg

実際のところ、本人の遺体はノースウエスト航空(現デルタ航空)で東京
を経由して奥さんとの思い出の地であるシアトルに空輸され、シアトルに
お墓があり、現在は撮影中の事故で亡くなった長男のブランドン・リーと
同じ墓地で永遠の眠りについています。

映画に興味を持ち、海外に興味を持つようになったきっかけの一つである
「燃えよドラゴン」という映画と、その主演俳優であるブルース・リーは
多分、私が死ぬ時まで記憶から消えることはないと思います。


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